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素粒子物理の壮絶な歴史

クォーク—素粒子物理はどこまで進んできたか (ブルーバックス)

南部 陽一郎

講談社


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またもや流行にのって、ノーベル賞受賞者による素粒子本を読んでみました。この本は素粒子論の歴史的な発展をあまり省略をせずに時系列に書いたものです。物理学に貢献した人のプロフィールも入っていて参考になります。

このように歴史的な発展を記述した科学の本というのは貴重です。数学・物理の本は結論のみが書かれることが多いです。その方が、理論がすっきりしているし、簡潔に書くことができるからです。理論の出発時点というのは非常にわかりにくい状態であることが多く、それをいろいろな学者が整理して、簡潔な形に持って行きます。その途中には紆余曲折があります。この本はそれを多少泥臭く書いてくれています。内容があまり理解できなくても、いかに苦労を重ねたかが伝わってきます。

自分は素粒子論というと、華麗な群論等の代数を使った美しい世界というイメージを(勝手に)持っていたのですが、この本を読んで全然イメージが変わりました。理由のつかない粒子が実験で次々と出現し、それを説明するために、理論をパッチを張るかのように作っていった過程が示されています。それは結構泥臭いものです。

この本は、これ以上簡単にはかけないのではないかというほど、素粒子論という難しい領域をわかりやすく書いていますが(例えば時々古典的な物理学とのアナロジーとかが書いてあって参考になる)、正直、自分は内容を理解できないところがかなり多く(というかほとんど?)ありました。・・・(数学出身なのに情けない)。クォークの「色」とか「香り」とか言われても・・(???)。それでも、あまり細かいところには気にせずに一気に読んでしまいました。わからなくても一読の価値があると思います。

感じたのは湯川氏の中間子論が、いかに偉大な業績だったかということです。原子核と電子という原子の模型と電子の振る舞いに関する説明が量子力学によってできあがった後に、理論的に追求して、中間子という不思議な素粒子(のちに素粒子じゃないとわかるが)の存在を大胆にも予言しました。その後の素粒子論の発展は、この中間子論のパラダイムに乗って進んでいくという意味で、近代素粒子学の父と言ってもよいのではないかと思いました。

また、最後に素粒子物理学の現状に対する憂いが少し書かれます。近代素粒子学は、割と科学としてハッピーな発展をしたと思います。巨大な加速器(粒子を高速で激突させて新しい粒子を見つけたり、反応を調べたりするもの)という単純な装置を金をかけて作って、既存の理論で説明できない新しい現象を次々に発見し、それを新しい理論で説明するという(またその逆もある)。自動車の両輪がそろって進むような状況でした。しかし、現在、(この本の時点1998年で)最先端の理論であるスーパーストリング理論になってくると、実験で検証するにはあまりにも大きいエネルギーが必要という状況になってしまって実験的な検証が難しくなっています。ということで、素粒子物理学の転換点にいるという認識を南部氏は示しています。

今後の素粒子物理の発展を見守りたいと思います・・・。


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