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牝鹿のストラヴィンスキーからの影響について

牝鹿をやるのは久々なのだけど、前からストラヴィンスキーのパロディのような曲だなと思っていた。だから、フランス的にやるべきだみたいな意見には少し違和感があった(フランス的ってなによ?…というのは別エントリで)。プルチネルラの影響は明らかと思われたが、その一方で作曲年代を考えると微妙?どっちが先?となったので確認してみた。

すると、これはWikipediaに載ってる程度の情報だった。「プーランク自身は、チャイコフスキーの『眠りの森の美女』のヴァリアシオン、ストラヴィンスキーの『プルチネルラ』や『マヴラ』の影響を受けたと語っている」だそうな(アンリ・エル『フランシス・プーランク』春秋社、1993年、40-47ページ)。
ちなみに作曲された時期については、以下の順序になる。

1913:春の祭典
1918:兵士の物語
1920:プルチネルラ
1922:マヴラ
1923:牝鹿(バレエ全曲版)
1928:八重奏曲(ストラヴィンスキー)

ストラヴィンスキーが新古典主義に転向してすぐに牝鹿は作曲されている。管楽器の使い方については、兵士の物語やプルチネルラの影響を強く感じる。マヴラは初めて聞いてみたが、確かにこれもよく似た作風である。また、自分はストラヴィンスキーのバレエ音楽の成功にあやかったのかな、と思っていたが、それはちょっと違うようだ。時代の変化にすばやく反応したとも言えるし、新古典主義に非常に共感したということなのだろう。プーランクからしてみれば、自分の性質に近い音楽がでてきて、これだと思ったのかもしれない。しかし、同じ新古典主義でもストラヴィンスキーはかなりエッジの効いた(若干クレイジーな)ラディカルなものになるのに対して、プーランクが書くと随分と角のとれて聞きやすい音楽になるのがおもしろいところだし、プーランクの(良い)個性なのだろう。同じ不協和音を使うのでもプーランクは調性が基本にあってそれを崩すようなやり方だが、ストラヴィンスキーは最初から壊れているというか、ずっと奇妙な使い方がされていると感じる。プーランクには牝鹿以前にそれほど目立った作品はないから、逆にストラヴィンスキーがプーランクの影響を受けた可能性は低そうだ。


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