CDレビューをいくつか出しているけれども、自分のお気に入りCD選択基準として「録音」は結構大きなウェイトを占める。例えば、以前挙げたアバドのCDもその傾向がある。自分は、録音は普通に世の中に考えられているよりも、ずっと重要なものであると考える。録音というか、マスタリング一つで演奏の印象はがらっと変わってしまう。LP時代に名演と思っていたものがCD化されてがっかりしたり、またその逆にCD化されて魅力を発見するものもある。同じレコーディングが違う版(マスタリング)でCD化されるときに、それがかなり違う音であることがある。日本版とヨーロッパ版で音が違うことは良くあるし、廉価版で音が劣化するときもある(逆に廉価版で良くなることもある)。しかし、例えば、日本版とヨーロッパ版では一般に日本版のほうがよい・・・というような一般的な規則があれば良いのだが、それがどうもないらしい。ある演奏は日本版、ある演奏はヨーロッパ版等と規則性がなく、買うほうは頭が痛い。劣った版で聴いてしまうと、それは良い演奏ではないと切り捨ててしまうことがあるのでもったいない。また、新しい録音だからといって優れているとは限らない。古い録音でも優れた録音はある。これは結構不思議なことだ。技術の進化とは無関係ではないが、意外と相関は低い。例えば、CDの出始めは悪い録音が結構あったと言われる。技術を使いこなせていないからだろう。ハイテク=好録音ではない。
というように録音を重視する自分だから、必然的に古いプレーヤーを低評価してしまうことがある。代表的なのは指揮者で、例えば、トスカニーニはほとんどちゃんとした状態の録音を残していないと思うので、大変残念だ。フルトヴェングラーも録音状態が良いスタジオ録音だと、妙に迫力がなかったりして残念に思うときがある。クラリネットも古い録音(1950年代以前)で良いものを見つけるのは難しい。歴史的な録音はある。古い演奏で自分が評価するものとしては、例えば、レジナルド・ケルの録音がある。しかし、今の録音技術でケルをとったら、もう少し柔らかい音になったのではないかと推測する。残念である。