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作者アーカイブ: ggszk

Prestige vs. Signature

過去演奏を2つほど公開したが、この2つで使われている楽器は違う。
フィンガル → Crampon Prestige

タコ5 → Selmer Signature

Prestige→Signatureに変えた。古いPrestigeは売ってしまった。さて、上記演奏でその違いはわかるだろうか。Prestigeのほうが若干音が明るいというか、少し音が抜けている感じがある。また、音の移動に若干のニュアンスがある。Prestigeのほうが、何というか、音作りの自由度が高いのだ。Signatureに変えたばっかりのころは、えらく苦しくて、ちょっと失敗したかなと思ったけれども、しばらくしたら慣れてしまった。Signatureのほうが、暗いまとまった音は出しやすい。音程も安定する。
JAOに行ったときには、セルマー使いだと言うと驚かれたものだ。自分はセルマー吹きにしては、軽い吹き方なのだそうだ。セルマー吹きには(レシタルのような)重い楽器を無理矢理鳴らすというイメージがあるのかもしれない。まあでも、上記二つも大差ないとも言える。結局、音は人の要素が一番大きいのだ。

職業としての政治・職業としての学問

職業としての政治 職業としての学問 (日経BPクラシックス)

マックス・ウェーバー

日経BP社


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ヴェルサイユ条約の本を読み、ウェーバーに興味を持ったので読んでみた。敗戦の直後の講演である。「職業としての政治」は、政治の本質が暴力であること、政治家の歴史・類型、必要な資質、倫理問題が論じられる。信条倫理(信念の正しさを重視する。過去には心情倫理と訳されていた)・責任倫理(結果に対する責任)という概念が提示され、責任倫理に従うことの重要性が説かれる。

「職業としての学問」は、学問の意義、学者になることの困難、等が述べられている。

両方とも有名な古典だが、この本は新訳だ。訳の巧拙はよくわからないが、訳者による括弧付きの補完が結構多く、割と自明なことまで補完してあり、うざいと感じることが多い。

白州次郎を知る

風の男 白洲次郎 (新潮文庫) Book 風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

著者:青柳 恵介
販売元:新潮社
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最近、白州次郎がはやっているのだそうです。NHKのドラマでも取り上げられました。自分は全く知らなかったので、とりあえずこの手頃な一冊を読んでみました。
戦後を作った重要な人物なんですね・・・(日本国憲法の誕生・サンフランシスコ講和条約・通産省立ち上げ)。吉田茂の側近として活躍する。
若い頃(戦前)にイギリスに留学して、その思想に影響され、お洒落なことでも知られた。英語に堪能(これが後々生きる)。
曲がったことが嫌いで、非常に口が悪かったらしい。
かなり不思議な人ですね・・・
でも、自分とはほとんど重なる所がないかなあ。自由・平等・・・という点では近いところもあるのだけれど、あの貴族趣味みたいなのは自分には無縁だな。

社会の歪みを背負わされる若者

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

城 繁幸

光文社


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現代の世代間不公平の原因を、成果主義という名目において、実は保持されている年功序列や、正社員に対する厳しい解雇規制にあるということを述べている。社会のしわ寄せは、すべて、若者に負わされているのだ。最近の会社では、若者が活躍する余地が非常に狭められていて、正社員となった優秀な問題意識の高い若者は会社をやめてしまう。それが現在の若者の高い離職率となっている。ただし、一回正社員となってやめて、再就職を狙う人に対しては、労働市場が形成されつつあるが、新卒で正社員となれなかった(ならなかった)人には、極めて厳しい状況が待っている。そういう人を救う労働市場がないのだ。例えば、司法試験を目指したが挫折し、さて就職しようと思うと、(優秀であっても)極めて限られた選択になってしまう。この状況を自民党も民主党も労働組合も変えようとはしていない。正社員の利権が政治的にも守られているのだ。この状況を打破するには、解雇規制を緩くし、それに併せてより高齢者の雇用が流動的になる必要がある。この若者が閉塞される状況を打破しないことには、日本が再活性化することはないであろう。今の日本の産業は年寄りになってしまって、競争力を失っているのだ。

ハイブリッド車への優遇に反対する

リンク: 「景気対策の三段ロケット=75兆円」のお寒い実態|野口悠紀雄.
政府の景気対策には、ハイブリッド車(正確には環境対策車)購入への減税が含まれているという。私はこれに反対だ。なぜ、車産業が保護されなければならないのか?それにプリウスって本当に環境にやさしいと言えるのか?

第一に、「環境対策車」なるものは、環境条件を向上させるかどうかが明らかでない。

第二に、特定の産業または企業のみを補助することにより、資源配分を攪乱する危険が大だ。

自分はこの意見に賛成だ。
また、

財政支出だけを見ても、妊婦検診の無料化など、景気刺激策とは言えないものがほとんどだ。額的にかなり大きいのは、医師確保・緊急医療対策、難病対策、新型インフルエンザ対策などだ。

だそうだ。情けなくなってくる。医療に問題があるのは確かだが、どさくさまぎれに予算を通そうとしていないか?日本が死亡するぞ・・・

堀江の弁解―逮捕後初の会見

リンク: 「一方的な報道による誤解を解きたい」――堀江貴文氏の逮捕後初の会見.
自分はライブドアを好きではないが、一般の人たちも、この記事には目を通しておくべきだと思う。彼の言うことは大きくは間違っていないはずだ。堀江のことは、まあどうでもよいが、宮内は(司法取引したかどうかは分からないが)金に汚い最悪な人間だと思う(ライブドアの汚い部分を自ら買って出たのだろうが)。(私と同じ)宮城県出身だが、宮城の恥だ。実刑が確定しているが、本来裁かれるべき罪で裁かれず、逃げおおせたというところなのだろう。

戦争責任とマックス・ウェーバー

ヴェルサイユ条約—マックス・ウェーバーとドイツの講和 (中公新書)

牧野 雅彦

中央公論新社


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を読んだ。社会学者マックス・ウェーバーは第一次大戦後のドイツの講和締結に携わった。講和の結果であるヴェルサイユ条約はドイツに対して、過酷なものであり、二度と国力を持てないようにとの意図があった。それが結果的にナチスを生むことになり、第二次世界大戦の時は、その反省を元に講和条約が結ばれた・・・というのは世界史の授業で習うところである。この本で問題になっているのは、第一次大戦の「戦争責任」である。我々は戦争責任というものを、割と当たり前のように受け止めているが、この当時その概念はなかった。ドイツに対し、戦争責任が課されることに対し、ウェーバーは鋭い反論を行った。当時のアメリカ大統領ウィルソンは講和前に示した十四箇条というのは、理想主義的なものであり、戦争責任という概念はなかった。しかし、実際に講和の段になって、アメリカの世論や、特にフランスの強い意向により、厳しい条約になったのだ。ドイツの自業自得的なところもあるのだろうが、戦争というもののむなしさ・難しさ等を感じざるを得ない。

第543回定演:メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」より

私が最初にクラリネットが美しいと思ったのは、このフレーズだ。典型的な三度を中心に動く二重奏で、曲が終結に向ける手前に据えられていて、大変印象的だ。メンデルスゾーンの曲には、これに限らず、クラリネットが重要な役割を果たしているものが多い。スコットランド・イタリア・真夏・・・。皆クラリネットはすばらしい(でもちょっと大変だ)。この曲を演奏することができたのは大変にラッキーだった。2ndの支えもあって、そこそこ満足できる出来になった。2000年だからもう9年も前のことになる。
ネタがなくなると過去演奏公開します・・・

グールドのフーガの技法

 バッハ/Die Kunst Der Fuge.1-9: Gould バッハ/Die Kunst Der Fuge.1-9: Gould
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

バッハのことはよく知らないけれど、フーガの技法はバッハの最高傑作の1つではないかと思う。最後の曲は、未完に終わったことが本当に悔やまれるすばらしい曲だ。
さて、自分はグールドを結構好きだ。ゴールドベルク変奏曲は名演だと思うし、プロコフィエフやスクリャービンもいい。マイスタジンガー前奏曲や運命といった編曲物も嫌いじゃない。
グールドはバッハの録音を多く残しているが、フーガの技法については、このCD・・・オルガンで9曲・ピアノで4曲が残されているだけだ。この理由は不明だ。グールドはフーガの技法があまり好きではないのか?
オルガンは、コントラプンクトゥス第1番〜第9番。最初のほうはえらく軽薄に始まったので、やってしまったかなと思ったが、だんだんとのってきて、第9番はそれなりにおもしろい演奏になっている。
ピアノは一転して、超遅いテンポでスタート(オルガンの2倍近く)。出来はピアノのほうが良いように思える。

バスクラリネットの先生捕まる

ちょっと洒落になってないけど・・・
リンク: FNNニュース: クラリネットの教え子….
そんな人には見えなかったんだけどな。

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