Mahler Sym.No4の室内楽版
Mahler Symphony No. 4; Lieder eines fahrenden
販売元:Capriccio |
真のマーラー好きは、こういう際物は聴かないのかもしれない。これはLinos Ensembleによる室内楽版である。編成は、フルート・オーボエ・クラリネット・2本のヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・バス・ピアノ・ハーモニウム・打楽器である。オーケストラの厚みは得られないものの、一人一人の音と表現が非常に良く分かる。クラリネットもとてもリアリティのある音に録れている。生々しい。オーケストラのような全体を録らなければならない録音ではこのようなことはできない。自分はこういったオーケストラの室内楽版というのがとても好きで、CDを見つけると大体入手している。Linos Ensembleの演奏も素晴らしい。
ショスタコーヴィチ/24 Preludes & Fugues
ショスタコーヴィチ/24 Preludes & Fugues: Nikolayeva (1962) 販売元:HMVジャパン HMVジャパンで詳細を確認する |
この曲は、ショスタコーヴィチがバッハを意識して作曲した作品である。全ての調で前奏曲とフーガが作られている。とても多彩な、時には古典的な、時には前衛的な、傑作である。彼は調性で創造的な作品を書けた最後の人ではなかろうか。演奏はかなり鋭い怪演である。第15番のフーガの尖った感じはなかなかすごい。
バルトーク 「5つのハンガリースケッチ」ほろ酔い加減
この曲の1番の難所は、この部分である。1stと2ndは1小節ごとに上下が入れ替わって装飾音符付きのパターンを吹く。最後に向けてアチェレランドする。
さて、この演奏だが、ちょっと公開するのはどうかなという感じだ・・・。とりあえず、つながってよかった・・・。
バルトーク「5つのハンガリースケッチ」 豚飼いの踊り
最後のスケッチではまたクラリネットが主題を提示する。八分音符の欠けがある旋律のパターンはリズミックに演奏する必要がある。
さて、この演奏だが、細かいところはさておきちょっと遅すぎるだろう。これで乗るのはなかなか難しい。
バルトーク 「5つのハンガリースケッチ」 メロディ
この曲の3曲目は、弦による主題の提示の後にクラリネットがメロディーを吹く。2回似たパターンが繰り返されるが、1回目は1stのみ・2回目は1stと2ndのユニゾンである。音はぴったりあって、微妙に厚くなる感じが出ることが望ましい。
さて、自分の演奏だが、これもちょっとまったりしすぎた。ゲネプロで指揮者からさらっと行ってと言われて、そうしたつもりだったんだけどあまりなってない。
バルトーク 「5つのハンガリースケッチ」より 村での夕べ
この曲はクラリネットで開始される。全くの無音状態から出るのは度胸はいるが、クラリネットは弱音には強いから、こういうソロは比較的得意である。最初に入るのは一人だけなので、出だしのタイミングは多少自由はある。
さて、自分の演奏だが、出だしはだいたい良かったと思うが、まったりしすぎた感じだ。自分の後の人たちがちょっと出にくそうな感じだった。もう少しさくっと爽やかにやってもよかったかもしれない。
「おくりびと」を見る
テレビでおくりびとをやったので見た。地味に良い映画だと思った。これが大きな賞をとるようなものなのかはよくわからないし、行列して見に行くようなものでもないと思うし、万人が感動するようなものでもないと思う。
死という重くなったり・泣きが入りそうなテーマを選んでいるが、クールに描写することによって巧妙に浪花節的にならないように配慮されている。また、スタッフの意図は、死よりも生の賛歌であるように思える。死はいろいろな表情を持っているけれども、それはあまり本質的でないというか、重要ではなくて、様々な死の上に成り立っている生に意味があるのだと。生を象徴する行為として、「食べる」シーンが取り上げられる。
脇役が皆すばらしい。山崎努はひさびさの名演技だろう。役者の中では、この作品の一番の功労者だろう。余貴美子も素晴らしい。その他にも沢山の脇役の名演技がある。これだけ脇を固められれば、主役の本木はとてもやりやすかっただろう。広末は演技は微妙だと思ったけれど、まだオーラはあると思った。このまま10年後を迎えるとさすがにやばいかもしれないけど。
ほとんど展開が読めるような話ではあるのだが、作りが丁寧でいろいろと考えさせられる映画だ。しかし、この映画は日本人にとってはとても自然な、違和感のないものであるように思える。納棺士には我々馴染みがないけれども、そのやり方を初めて見ても、「すごい」と思うよりは、「うん。こうするかもしれない」というような感覚を持った。だから自然すぎて、あまり感動できないという人はいるのではなかろうか。外国人が見るとどう感じるかは想像ができない。
演奏事故の反省
先日の演奏会のバルトークのラストが空中分解した、という話をしたけれども、それがどのようにしておこったのか検証してみたいと思う。失敗を反省することは大事である。録音をupするときは原則自分以外の演奏を入れないようにしているのだけれども、ちょっと失礼させていただいてやや長めに入れている。時系列に起こった事件を記録してみる。
0:00 Hrがritして次に受け渡す(ここまではOK)
0:02 Solo Vnが拍節感のない不可思議な動きをする→ここで自分はテンポがわからなくなった
0:06 Piccソロ→よく入ったと思う。自分の中のテンポで入ったのだと思われる。
0:08 Clソロ(私)→指揮とはずれている感じなのだが、何とか巻き返そうとする。しかし、その結果細かい音で急いでいるのがわかる。
0:15 再びPiccソロ→この辺で少し安定しつつある
0:24 Vnの次にOb→これは多分正しい
0:29 木管の16音符の出だしの指示を指揮者が間違える。聴いた感じだと1拍早いようだ。
→ここでCl(私)は指揮者の指示に従って出てしまう。
→Flは完全に落ちる。
→Piccはかろうじて入ることができて何とか曲はとまらなかった。
まあ、指揮者が振り間違えたのが悪かったという単純な話なのかもしれないが、一つ、検証されなければならない点として、
・私は指揮に従うべきだったのか?楽譜に従うべきだったのか?
ということがある。指揮者とはいえ絶対ではないから、事故は起こりうる。全体で演奏する場合にこのような事故に対応するのは、コンマスだろう。しかし、ここは極めて楽器の薄いところであるから、その原則は通用しにくい。
言い訳になるが、あの状況で指揮を無視するのは極めて難しい。指揮者の指示に反射的に出てしまったというのが本音だ。すいません。しかし、あそこで出なかったら完全に音が消えた可能性がある。パニックになりながらも音がとぎれなかったことはラッキーで(とぎれるととぎれないでは大分印象は違う)、許していただきたい。
しかし、そもそもの原因を考えると、0:02の時点で拍節感が完全に失われ、オーケストラ全体のコントロールが失われたことにあると私は思う。せめて弾かないでくれたらここまでパニックにはならなかっただろう。うちの指揮者はこういうシチュエーションで奏者にあわせようとする(世にはそうでない人もいっぱいいる)ので、基準がわからなくなってしまうのだ。
指揮者の表面的なミスを責めるのではなく、本質的な原因を追及すべきと思う。
第617回横響定演終了
終了しました。バルトークは個人的にはそれほど良い出来ではありませんでした。最後で空中分解しました。これは臨時コンマスのいい加減なソロで木管群と指揮者がパニックに陥ったためでした。ピッコロ・クラリネット・オーボエにとってはいい迷惑でした。まあ今回だけでしょうから・・・