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次回の出番(第612回横響演奏会)

次回の出番は、ハイドンの1stとなります。ちょっと地味なプログラムですが(アンコールもあるかもしれないので)・・・出来の保証もできませんが・・・聴きに来ていただければ幸いです。ホルストは吹奏楽曲の編曲版で大変珍しいものです。ハイドンは、「のだめカンタービレinヨーロッパ」で、プラハ・プラティニ指揮者コンクールの一次予選課題曲として、千明(玉木宏)が指揮をした曲です。のだめファンはチェックを・・・。

青少年のための音楽会 第612回定期演奏会
【音楽の都を巡る (4) ロンドン】

1.組曲「王宮の花火の音楽」(ハーティ版)ヘンデル
2.交響曲第1番 変ホ長調モーツァルト
3.吹奏楽のための第1組曲 変ホ長調 (管弦楽版)ホルスト
4.交響曲第104番 ニ長調「ロンドン」ハイドン

管弦楽 横浜交響楽団
指揮  甲賀 一宏
日時  平成21年2月8日(日) 開場/午後1時15分 開演/午後2時
会場  青少年センターホール JR・市営地下鉄「桜木町」駅から徒歩10分
入場料 1,000円(全自由席)
前売所 読売プレイガイド・横浜高島屋チケットショップ
主催  横浜交響楽団 共催/横浜市市民活力推進局

Martin Fowler氏の新しいDBMS観

「Martin Fowler氏はデータストレージについての凍結した考えがほぐれてきたと考えている」・・・そうです。
記事

Martin Fowler氏は言うまでもなく、ソフトウェア開発方法論等の権威ですが、RDBMSについては、

私は複数のアプリケーションが共通のデータベースを通して強く結びつくというアプローチが好きではありません

という見解を持っているそうです。これは古典的なデータ中心的アプローチの否定に近いと思います。

もしあなたが統合のプロトコルをSQLからHTTPに変えたら、それはあなたがデータベースを統合データベースからアプリケーション・データベースに変えられるということです。

データベースについての新しいアプローチ(XMLデーターベース等)は、なかなか(商業的に)成功していないというのが現実だと思いますが、果たして、流れは変わるのでしょうか・・・。

メシアンが到達したピアニズム

Messiaen: Catalogue d’Oiseaux

Roger Muraro

Musidisc


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ムラロのメシアンの実演があまりに素晴らしかったので、彼のメシアンのピアノ独奏曲全集(7枚組)を購入してしまいました。
上記はその中の「鳥のカタログ」です。3枚組です。正直「鳥の時代」のメシアンは少し苦手にしていました。鳥の声を、比喩的(田園のように)ではなく、完全に生の音をコピーするというのは、何か無理があるという感じがしていました。しかし、生のムラロの演奏(眼差し)を聴いて、鳥のパッセージの扱い方に説得力が感じられたので(それはかわいくなく、結構ギャラギャラとしていたけど妙に説得力があった)、これなら「鳥のカタログ」もいけるのではないかと思い、購入して聴いてみました。

3枚通しで聴き通すことができました。この音楽には全体の統一感(古典的なテーマのようなもの)がないので非常に聴きにくいのですが、局所的な音楽はメシアンのピアノ曲ならではの美しさに満ちています。ムラロはそれを丁寧に響きを味わいながら弾いています。20世紀的なピアノというものをどうとらえるかということの、メシアンなりの究極的な答えがここにはあるように感じました。

新旧メシアンピアノを比較する

自分が先日の演奏会で生で聴いたきたメシアンは以下です(昨日の全集に含まれている)。

20 Regards Sur l’Enfant Jesus


Musidisc


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ムラロのメシアンのスタイルはこれまでのどの演奏者とも違うと思ったのですが、生ではただただ圧倒されてあまり分析できませんでした。CDが手に入ったので少し分析してみました。比較対象は以下の過去のベロフの名演です。

20 Regards Sur L’enfant-jesus
Beroff

Rouge Et Noir(emi)*


ムラロのメシアンは大変に感情移入が激しい、ロマンチックなものです。例えば、音の空白部分で結構大きな間を作って、ためたりします(これは生で聴くと結構効く)。それに比べるとベロフは、ややドライでかっちりしてます。あまり大げさなことはやりません。

自分が思いついたのは、こういう図式です。

ムラロ→スクリャービン
ベロフ→バルトーク

ムラロを聴いて思い出したのは、アシュケナージのスクリャービンでした。複雑な和音やパッセージを美音で華麗に演奏します。ロマンチックです。グールドによるスクリャービンの曲の構造模型のような演奏とは対照的です。(今までメシアンをスクリャービン的であると思ったことはないけど、ニコ動のコメントにはあった。あとムラロは美音というほどではない。)

ベロフはバルトーク的だと思いました。切れ味するどいカノン等が印象的です。実際、彼はバルトークも得意なレパートリーにしています(それに対して、ムラロのスクリャービンはない)。

というように、この2つの演奏は、メシアンの持つ2つの側面をそれぞれ表しているのでした。両方ともに、甲乙つけがたいものですが、自分は実演で実際に聴いたムラロを今は選んでしまうかな・・・。ちなみに、ロマンチック感は(音は悪いけど)DVD盤があるので、そちらのほうが伝わります。間のときの表情やしぐさとかがわかるから。

ムラロのメシアン購入

Messiaen: Complete Piano Solo


Accord


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メシアン、オリヴィエ
『幼子イエスにそそぐ20の眼差し』 ミュラロ(P)(DVD)

先日生で聞いたムラロをきちんと聞いてみたくなって、全集とDVDを購入してしまいました。生の迫力にはかなり負けますが、なかなか優れた演奏でした。レビューは追って掲載したいと思います。

野口悠紀雄の悲観的な見解

世界経済危機 日本の罪と罰

野口 悠紀雄

ダイヤモンド社


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最近は森永卓郎などの市場否定主義者(否定は言い過ぎかな消極主義者)が、発言力を増していて、マスコミに出ては「それみたことか」と騒いでいます。自分はこれには納得できないので、その対極の位置にある、エコノミスト野口悠紀雄の見解が出るのを待っていました。本が発売になったので、すぐに購入して読んでみました。

それは、かなり悲観的なものでした。基本的な主張は、これまでの極端な円安政策によってもたらされた円安が異常な状態であって、それが円キャリートレード→アメリカへの投資→アメリカの赤字拡大→日本車が売れる→・・・という投機的循環のバブルがはじけたというものです。これまでの円は適正な価格よりも大幅に低く設定されていた。それが、既存の非効率な輸出産業を温存する結果になってしまった。世界的な経済の破綻は日本に大きな責任があるという考えです。日本はアメリカに対して、貸し倒れをしたような状況になっていて、その損失は既に数十兆円にも上る。これは財務部門が弱かった(知恵がなかった)ためで自業自得だと指摘しています。不況の影響は、米国以上に日本に打撃を与えるであろうと予測しています。

輸出依存の産業構造を変革しない限り、日本の産業が発展することはないとしています。これは、物作りを重視する森永に対立するものです。また、一次産物(原油・食料等)の価格上昇に対して、自給率向上のオピニオンはナンセンスで、食料の輸入の自由化を主張しています。円高の状態でも成立するビジネスモデルを構築する必要があると。

IT・金融等での国際競争力の必要性も言われています。

あっという間に読めましたが(内容はわかりやすい)、状況は自分が考えていたよりもはるかに深刻という印象を受けました。どちらかというと自分は現在保護されている側にいる人間なので、その自分に何ができるか、というのをきちんと考えないといけないと思いました・・・。

アバドの強烈な名演

年末バーゲンでCDをいくつか買いましたが、その中で以下の2つが大変印象に残りました。両方とも指揮はアバドです。古い演奏です(20年以上前)。

バルトーク:ピアノ協奏曲第1番、第2番

アバド(クラウディオ) ポリーニ(マウリツィオ)

ユニバーサル ミュージック クラシック


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ポリーニとのバルトークの協奏曲です。超名演と思います。切れ味鋭い演奏です。特に2番の第3楽章は、強烈な掛け合いとシンメトリーを利用した音列の変形等、バルトークのテクニックが満載で、ジェットコースターに乗っているかのような気分を味わうことができます。

プロコフィエフ : カンタータ

オブラスツォワ(エレーナ),ロンドン交響合唱団

ポリドール


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アレクサンドル・ネフスキー(ロンドン響)・スキタイ組曲・キージェ中尉(シカゴ響)の組み合わせです。どの演奏も大変に優れたものと思いますが、あえて選ぶならば、アレクサンドル・ネフスキーです。この曲はあまり好きというわけではないのですが、ロンドン響からもの凄く深い響きを引き出しています。ロシア(近代)音楽のおもしろさを実感することができます。

両方のCDともに1300円程度で購入できます(外盤ならば)。内容から考えるとお得と思います。

昔のアバドはすごかった・・・けど・・・ベルリンでは何であんなになっちゃったんですかね〜・・・

第611回横響演奏会(第九)終了

少し報告が遅れましたが、年末恒例の第九の演奏会が終わりました。雨の中2300人ものお客様が来ていただけたそうです。本当にどうもありがとうございました>横浜市民の皆様。

自分は演奏会直前にロビーで木管五重奏をやりました。曲は「主よ人の望みよ喜びよ」です。
で・・・、あれは3連符が延々とつながっていくのですが、やっと自分の番が回ってきたというところで、1拍3連符が消えます。「あれっ」と思ったのですが、もう遅い。1拍遅く入ってしまったのでした。仕方ないからそのまま8小節くらい吹き続けて、何か不思議な響きになりながらも、周りが無視してくれたので、曲は止まらずにすみました。自分も途中から復帰しました。

こんな失敗は多分生まれて初めてです。ロビーで聞いてくれた方、大変申し訳ありませんでした・・・。

本編のほうは、前プロの1stと第九の1アシでしたが、まあまあ無難にこなせたかな・・・。ちょっとパワーが足りなかったかな。

ムラロのメシアンを生で聞く

トッパンホールのシリーズ<生誕100年記念メシアン−光と闇>

の組チケット(6000円×2が10000円になる)を購入して、その第一回の、

「幼な子イエスにそそぐ20の眼差し」
ロジェ・ムラロ(ピアノ)

を聴いてきました。「すごい」の一言に尽きるのですが、まあ、本当に凄まじい演奏でした。ムラロは名前すら知らなかったのですが、こんなメシアン弾きがいるとは驚きでした。メシアン弾きとして著名なベロフ(軽め)やエマール(技巧派)とはまた違ったタイプ(ちょっと表現が見つからない)ですが、全然ひけをとらないと思いました。客席はほぼ満席でした。

完全に打ちのめされて帰ってきました・・・。

ちなみにアンコールは無しでした。あの凄い演奏の後にできるアンコールはないなと思いました。

さて次回のピアノは(世の終わりのための四重奏ですが)エリック・ル・サージュです。果たしてどこまでこのレベルに近づけるでしょう・・・。

ニコ動での動画があるので、見てみてください。神演奏です。

メシアン:20のまなざし ‐ 6.御言葉によってすべては成されたり

素粒子物理の壮絶な歴史

クォーク—素粒子物理はどこまで進んできたか (ブルーバックス)

南部 陽一郎

講談社


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またもや流行にのって、ノーベル賞受賞者による素粒子本を読んでみました。この本は素粒子論の歴史的な発展をあまり省略をせずに時系列に書いたものです。物理学に貢献した人のプロフィールも入っていて参考になります。

このように歴史的な発展を記述した科学の本というのは貴重です。数学・物理の本は結論のみが書かれることが多いです。その方が、理論がすっきりしているし、簡潔に書くことができるからです。理論の出発時点というのは非常にわかりにくい状態であることが多く、それをいろいろな学者が整理して、簡潔な形に持って行きます。その途中には紆余曲折があります。この本はそれを多少泥臭く書いてくれています。内容があまり理解できなくても、いかに苦労を重ねたかが伝わってきます。

自分は素粒子論というと、華麗な群論等の代数を使った美しい世界というイメージを(勝手に)持っていたのですが、この本を読んで全然イメージが変わりました。理由のつかない粒子が実験で次々と出現し、それを説明するために、理論をパッチを張るかのように作っていった過程が示されています。それは結構泥臭いものです。

この本は、これ以上簡単にはかけないのではないかというほど、素粒子論という難しい領域をわかりやすく書いていますが(例えば時々古典的な物理学とのアナロジーとかが書いてあって参考になる)、正直、自分は内容を理解できないところがかなり多く(というかほとんど?)ありました。・・・(数学出身なのに情けない)。クォークの「色」とか「香り」とか言われても・・(???)。それでも、あまり細かいところには気にせずに一気に読んでしまいました。わからなくても一読の価値があると思います。

感じたのは湯川氏の中間子論が、いかに偉大な業績だったかということです。原子核と電子という原子の模型と電子の振る舞いに関する説明が量子力学によってできあがった後に、理論的に追求して、中間子という不思議な素粒子(のちに素粒子じゃないとわかるが)の存在を大胆にも予言しました。その後の素粒子論の発展は、この中間子論のパラダイムに乗って進んでいくという意味で、近代素粒子学の父と言ってもよいのではないかと思いました。

また、最後に素粒子物理学の現状に対する憂いが少し書かれます。近代素粒子学は、割と科学としてハッピーな発展をしたと思います。巨大な加速器(粒子を高速で激突させて新しい粒子を見つけたり、反応を調べたりするもの)という単純な装置を金をかけて作って、既存の理論で説明できない新しい現象を次々に発見し、それを新しい理論で説明するという(またその逆もある)。自動車の両輪がそろって進むような状況でした。しかし、現在、(この本の時点1998年で)最先端の理論であるスーパーストリング理論になってくると、実験で検証するにはあまりにも大きいエネルギーが必要という状況になってしまって実験的な検証が難しくなっています。ということで、素粒子物理学の転換点にいるという認識を南部氏は示しています。

今後の素粒子物理の発展を見守りたいと思います・・・。

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