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フランス革命史(下)

フランス革命史〈下〉 (中公文庫)

ジュール ミシュレ

中央公論新社


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先日紹介したミシュレのフランス革命史の後半である。ルイ16世の処刑から、ロベスピエールの死までが書かれている。この後半の方が(血なまぐさいが)おもしろい。フランス革命がロベスピエールの独裁に至ったのは、仕方ないところがあるのがわかる。革命の混乱に乗じて周辺諸国が干渉してきて、多面作戦をとらざるを得ず、強力な指導力が求められたのだろう。明治維新において、欧米の干渉を受けなかった日本は幸運だった。軍隊を整備する時間を取ることができた。もし南北戦争がなかったら、日本の運命は違うものになっていたかもしれない。ロベスピエールに対する著者の感情は複雑だ。その独裁は責められるべきであるが、彼は革命には不可欠な存在で、革命の思想を体現している・・・という見方ではないかと思う。過度な賛美もしていないが、軽蔑もしていない。ある程度距離を置いて見られているのではないか。しかし、フランス革命の歴史的な意味というのは評価が難しい。

私小説に見るアメリカ

私小説—from left to right (ちくま文庫)

水村 美苗

筑摩書房


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この本は先日紹介した「日本語が亡びるとき」の著者による作品だ。宣伝されててつい買ってしまったが、おもしろい。一気に読んでしまった。横書き左から右で(これがfrom left to right)、英字混じりの日本語はなかなか新鮮だ。著者のアメリカ体験に基づくものであり、「日本語が〜」のベースになっているから、「日本語が〜」に関心を持つ人なら、おもしろいと思う。この本が書かれたのは、1995年であるよって、想定されている状況はそれよりちょっと前のバブルの頃あたりのようである。このころは、昨日話題にした多文化主義は出始めのようである。現在ほど深刻ではないにしても、マイノリティの地位が向上しだした時期である。日本人としてアメリカに生きることの難しさ・・・。いろいろと考えさせられる作品だ。

アメリカの変容

分断されるアメリカ

サミュエル ハンチントン

集英社


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アメリカがこんなことになっているとは知らなかった・・・。本は読んでみるものだ(それほど最新ではないけど)。アメリカは元々プロテスタントの国だった。移民はたくさん流入したが、基本的には彼らはプロテスタント的な文化に同化し、新しいアメリカ人になって社会に進出してきた。しかし、(特にメキシコからの)最近のヒスパニック移民の急激な増加は、アメリカに新しい問題を発生させている。ヒスパニックはアメリカ的な文化には溶け込まず、英語も十分に話せず、スペイン語しか使えない。しかし、その数が増加していることと、ヒスパニックから社会的影響力を持つ勢力が出てくることによって、ヒスパニックが母国語の文化を保持し、かつ政治的にアメリカに対して影響力を持つようになっている。また、アメリカのリベラルなエリートが多文化主義的な考え方を持つことから、政策にそれが影響され、特にヒスパニック移民の多い南西部(ロサンゼルス等)などから、二カ国語的な社会が発生している。企業から見てもヒスパニックの市場を無視できなくなっている。二カ国語(英語・スペイン語)ができるほうが、英語だけしかできない人間よりも高給を取れるという状況になっている。

これは、アメリカのアイデンティティの危機である。今やアメリカ的プロテスタントはマイノリティになりつつある。それは人数だけではなく政治的・社会的にもだ。しかし、未来のアメリカを一つにするアイデンティティというのは難しい。もはや人種・宗教はアメリカのアイデンティティではなくなりつつある。自由・平等・民主主義等の理念なのかもしれないが、理念をもって国のアイデンティティとして成功した例というのはあまりない。

ヒスパニックを例にあげたが、他の民族(アラブ人等)も同じような現象が現れている。アメリカで独自な文化を維持し、政治的な力を持ち、政策に影響を与える。アメリカはこれまで移民のバイタリティによって活力を得てきた。しかし、現在、移民により一種の侵略を受けている状況にある。

この本の著者は基本的に、アメリカのプロテスタント的な文化に価値を見いだす保守派の傾向があるが、明確な今後の指針は示せていない。私が日本人として気になるのは、じゃあ日本人はこのグローバルな侵略競争の中で存在感を見せているのだろうか?日本人や韓国人は基本アメリカの勤勉な文化に馴染みやすかったら、自分の文化を割と簡単に捨てて、アメリカナイズしていった。韓国人・中国人の活躍は聞くような気がするが、日本人の活躍はあまり聞かないような気がする。

反哲学入門

反哲学入門

木田 元

新潮社


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週刊ブックレビューを見て入手した。反哲学というが、哲学入門だ。ニーチェ以降の哲学を反哲学と表現している。単純には、神的で普遍的な理性を仮定するのが哲学で、神の否定が反哲学だ。しかし、反哲学に関する記述は最後のほうのわずかで、それまでは哲学の歴史が語られる。歴史は極めてわかりやすく書かれていて、参考になる。反哲学については著者の専門(ハイデガー)であるだけに、興味深い記述になっているが、もう少し語って欲しかったところだ。ニーチェとハイデガーなので、入門書とは言え易しくはない。

愛国者が語るフランス革命史

フランス革命史〈上〉 (中公文庫)

ジュール ミシュレ

中央公論新社


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先日紹介したイギリスのバークの本と真逆の本である。人民による革命の意義を称えている。バークへの反論も中にある。この上巻は、1789年の三部会招集から、1792年のヴァルミの勝利までなので、国王の国外脱出失敗は入っているが、国王の処刑は入っていない。この本を読む限りでは、フランス革命は明治維新とは非常に対照的に感じられる。明治維新は、基本(社会的ではなく知的)エリートによるトップダウンな革命だろう。フランス革命はボトムアップ・人民主導で、指導者が何か煮えきらない感じで、そのときの空気に右往左往させられているように見える。民主的なものの原点なのかもしれないが、復讐に次ぐ復讐で、衆愚政治の原点でもあると思う。そんな様子を著者は、基本肯定的に描いている。フランス革命で起こったことを一通り知ることができる上では価値があるが、客観的な歴史記述とは言い難く、なぜこのエピソードにそんなにページを割くのか、と感じるような所もある。

学力低下は錯覚である

学力低下は錯覚である

神永 正博

森北出版


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この本は、「学力低下は錯覚で実は存在しない」というのではなく、「学力低下という現象は存在するが、それは学生全体の学力が下がったことではない」ことを示している。大学生の学力低下という現象は、少子化により相対的に大学が入りやすくなり、大学の学力レベルが下がったことにより発生しているので、一種の錯覚であるというのだ。データを元に議論されており説得力がある。また、理系離れの問題についても、理系全体としては、志望者はずっと一定の比率になっていること、工学部の学生が減っているのは、工学部への進学率が低い女性の大学への進学率が高まっているためで、男子については変化がないこと、等が示されている。今後の教育問題を考えるのに、重要で基本的なデータが示されており、一読が必要なものであると思われる。

崩壊するアメリカ

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

堤 未果

岩波書店


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レーガン〜ブッシュ(子)までのアメリカは基本的に保守主義の時代だった。保守主義とは、アメリカの場合、小さい政府を指向する。市場の力を利用して競争によって、より良いサービスを実現していこうという考え方である。しかし、この本では、そういう考え方によって、いかにアメリカがダメになったかを厳しい現実として示している。アメリカで医療の無保険者が多いことはよく知られているが、医療費の高騰が尋常じゃない。病院に一泊すると数十万円するのだ(!)。だから、日帰りお産というのがあるそうだ。また、病気によって入院することによって「中流」家庭が破産してしまうケースが増えているのだそうだ。結局、高い保険代を払うことができる金持ちだけが十分な医療が受けられるという状況にある。貧富の差が広がる方に倒れているのだ。そして、貧困層に転落した若者は、戦争ビジネスの派遣会社によって、軍人としてではなく、民間人としてイラクに送り込まれる。そこには、自分を守る武器もなければ、負傷・死亡したときの保証もない。放射能で病気になって死ねば、現地で火葬されることにサインしなければならないのだ。

アメリカは万人にチャンスがある自由な国家ではなかったのか?今は階層が固定化し、格差が拡大している。市場を利用することによって起こっていることは、大企業による寡占である。医療も寡占により、医療費がつり上げられている。これは何かおかしい。アダム・スミスが理想とした自由の姿ではない。例えば、わかりやすいのは、アメリカはとうもろこしの輸出自由化をメキシコにのませ、国家からの補助によって安価にして大量に輸出し、メキシコの農業を破壊した。そうして、農業から追われたメキシコ人は移民となってアメリカに流入した。これは、アダム・スミスが厳に戒めたやり方ではないか。

まあ、こうなると、AIG幹部のボーナスへの風当たりが強いのも止む無しという感じであろうか。
日本にとっても全然他人事ではない。

幕末を学ぶ

幕末史

半藤 一利

新潮社


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最近のベストセラーだ。週刊ブックレビューで情報を得たので読んでみた。わかりやすい口調で語られているけれども、基本二次・三次情報なので、ちょっとな〜という感じもする。著者は薩長中心の史観を見直したいと語って書いている。その意図はまあまあ実現しているとは思うが、東北出身の自分からしてみれば、それほど新しいとは思わない。明治維新の「偉人」というのは、よく尊敬の対象になるけれども、自分はあまり尊敬する気にはなれない。基本、暴力革命だと思うからだ。筋を通して共和制を主張した東北は、戊辰戦争で粛正され、主流から外される。下北半島に移住させられるという、極めて厳しい処分を受けた会津藩の心中を思うと胸が痛む。理不尽だ。その感覚は変わらなかったから、今後も維新を追求しようという気にはあまりなれない。

イギリス人によるフランス革命批判

フランス革命の省察

エドマンド バーク

みすず書房


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レビューを出すときは、基本、本を全部読み終わってからにしているが、この本については読み切ることができなかった。エドマンド・バークは18世紀のイギリスの政治家だ。この本は、フランス革命に対して、イギリスの保守主義的な視点から批判を行う、というもので、保守主義の古典として有名な本だ。伝統を重視せず、社会の全てをひっくり返してしまうような革命を否定する。皮肉に満ちた、古くさい(日本語訳だから原文は知らないけど)文体で、延々と批判を続ける。2/3くらいまで読んだが、いい加減、お腹いっぱいになってしまった。Wikipediaで見ても、フランス革命というのは、その意義が疑問視されているそうだが、自分も歴史的意義は認めるが、その、ちょっとドラスティックなやり方とか、革命後のダッチロール的な状況とか・・・いけてないと思う。

また、神の重要性を説いている。国のモラルの源泉が神なのだ。日本において神ということになると、天皇のことを考えざるを得ない。神なくして国のモラルを保てるのか?もう少しいろいろと知る必要がありそうだ。

日本語が亡びるとき

日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で

水村 美苗

筑摩書房


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現代日本に生きる我々は、書き言葉と話し言葉というのは、同一というか近しいものだと思い込んでいるけれども、古来、その二つは明確に区別されていた。過去の西洋にとっての代表的な書き言葉はラテン語であり、日本にとってのそれは漢文であった。書き言葉の役割は「(広い意味での)学問を記し伝達する」ということであり、知的エスタブリッシュメントが使用するものであった。よって、書き言葉にとって重要なことは、学問的な業績に容易にアクセスできることであり、できるだけ多くの人に読んでもらえることであり、現代においては、世界的に英語が書き言葉として支配する状況になっている。インターネットやITの発達はそれに拍車をかけている。そのような中で、日本語は奇跡的に書き言葉としての地位を確立していた。それは、植民地支配にあわなかった、島国であった、等の幸運にも恵まれたが、漱石や鴎外等の近代文学を確立した偉人の努力にもよるのである。しかし、現在、日本語も他の言語と同じように亡びようとしている。このままでは知識人たちは、英語を主に考えるようになるであろう。日本語の遺産は偉大であり、近代文学を教育に積極的に取り入れることによって、その価値を伝えていくべきと問う。小説家であり、日本近代文学の教師でもある著者の訴えは説得力がある。

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